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_ はちさんとこから今木さん経由で雪駄さんの「劇伴」を読む。←いや、ここまでHTML記述して「リンクの力って凄いな」と思ったり^^;。で、なんか前に日記のネタにしようと思って書きかけたままの文章があったのを思い出して発掘してみる。Kanonの「わしサントラ」作ったころのだ。
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_ ・・・なんかこう、ちょっとピンと来ない。まるで料理の調味料だけ味わっているような気がする。話があって絵があって、そこに曲が加わって初めて完成する「もの」の、ほんの一部分しか感じない。
_ BGMには、「場面に依存する」ものとそうでないものとがある。「場面依存」は、もっと簡単に言うと「キャラ依存」「場所依存」「行動依存」なんかの「テーマ曲」的なものだ。
_ わしはアニメのサントラが好きでよく聴いているが、これらのライナーノーツを読むと「どういうつもりで作った」という説明があることが少なくない。
_ これらの楽曲群を聴いていると、自然と「場面依存度の高い曲」ほど「いい曲」に感じられることが多い・・・曲から場面を引き出せるという「相乗効果」と、作曲する側もそのほうが作りやすいのが理由だろう。逆に場面依存度の低い曲は印象が薄い・・・というか薄くないと場面に依存してしまう。だが作品中で使われると、どちらがいい悪いなんて思うことはなくなる・・・どちらも必要なのだ。
_ Kanonの楽曲群は、これでいう「場面依存度の低い曲」の重要度が高い気がする。
_ ちょっと振り返ってみる。東鳩は基本的に場面依存の曲だけで作られている・・・というかストーリー構成上これだけあれば困らない。MOON.は1本道で、場面に合わせた曲が次々演奏されていけばゲームが終わる。従来のゲームはこんな感じの曲作りで十分だった。
_ さて、ONEは前半は東鳩と同じ手法を使っているが、後半に入ると各ストーリーが「浩平が消える」ということを焦点とした場面に依存した曲が中心になる。実は、ONEのストーリーだとキャラ依存や場所依存の曲が後半で使えなくなるため、上で例に出したような手法では「曲数がやたらに増える」「CDの容量が足りない」という物理的問題が発生する。だからこういった手法をとったのだと思うが、結果的には成功していると思う。
_ さて、Kanonにはこの「収束」という手すら使えない。そこで「場面依存度の低い曲」=「場面に関係なく受け側の感情のみを操作するための曲」を多用することで曲数を減らさざるをえず、そのための曲作りを要求された。そのために、プレイヤーが特別な感情を持たない限り曲から場面を引き出すことができない楽曲群・・・という意味で印象が薄く、それ単体では感じるものが少ないのだろう。
_ ただ、こういった場合は作曲家は「曲のほうで関係を持たせて印象を濃くする」ことをよくやる。主題とか楽器とか奏法とかに共通性を持たせる手法がそう。Kanonでも同じ主題を使った曲が何組かあって、この効果を狙っていることはよくわかるんだけど、もうひとまわり大きい共通性があってもよかったかなとも思う。
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_ ・・・つーことで。でも、すっかり聴き慣れた今は「場面依存度の低い曲」もお気に入りです。つーか真琴シナリオ上にmappingされているよーな気もする(汗)。
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