02/15 01:18 @DentoTeramachi シャッタースピードよりまず「映り込みが入らないようにすること」が第一です。で、画面写真を撮影する場合のシャッタースピードは「1フレームの速度の5?6倍」…つまり60fの画面なら1/10s程度が基本です。ベクター系の場合はもっと遅い可能性もあります
(huna)
02/15 05:08 てか、先日の「メガドラで手製のSRAMボード」って、やってることは「タコ吸いで以下略」と同じなのよね…というか、その頃から10年も遡れば「自前でRAMボード作る」なんてのはわりと当たり前だったわけで :D
02/15 15:22 @naonori_msx 「Jリーグプロストライカー2」です。主にゲーム中の背景音を多重合成するために使われたようです。ちなみにバーナーはPSGチャンネル個別制御による多重発声PCMで、松島さんによるもののはずです
(giki)
02/15 16:50 マザーボードとケースの結線を楽にできる「Q-Connector」がASUSのみらしいと知って、へぇ状態。最近ASUSばっかり使ってたしな…(苦笑
02/15 17:58 @naonori_msx あ、少し訂正です。バーナーのサウンドドライバを誰が作業したかはちょっと資料見つかりませんでした。サウンド移植作業は岩垂氏なのですが、ドライバのコードが氏なのか松島さんなのか他の誰かなのかまではわからず
(pine)
02/15 18:43 サザエさんの世界で宝くじが3億円だったりスーパーでポイントがついたりして時代感が崩れる…(苦笑
02/15 22:30 @yoshimatsuTUQ X68000の場合、Oh!Xや電脳倶楽部といった全国的な専門誌が同人ソフトには注目していなかったため、「全国的なレベルで同人ソフトを中心とした拠り所」そのものが実は存在していなかったのではないかと思われるフシがあります
(doda)
02/15 22:40 @yoshimatsuTUQ X68000の場合、そこでゲームを作り始めたとして、そこに留まり続けず「ちゃんとゲームを売れるプラットフォームへ移行する」道がいくつもありました。そしてそのプラットフォーム上で道具としてX68000を使い続けることができた、ということもあります
(bibo)
02/15 22:55 X68000話。メインPCとしての終焉を迎えたのは95?96年…ちょうどWindows95ブームが来た頃…だと思う。そして97年にはもうex68が出ていて、仮想マシンとして歴史を保存する動きが始まっていた。日本で実マシンと仮想マシンとのブランクが最も短かったマシンだと思う
(boga)
02/15 23:01 そして、X68000上ですでに仮想マシンとしてのX1を育てる芽があった…自分でも関わっていたX1エミュレータだけど。また、アーケードからの移植が多かったことからも「あるマシンを別のマシンで再現する」という概念のイメージにも慣れてきていた気がする
(paza)
02/15 23:09 X68000ってわりと綺麗な記憶を持ったまま、実行可能なイメージとしては素早く仮想化されてブランクなく生き残れてしまい、ゆえに「ユーザーの思い出を記録として残す」ことになってきていないのでは、という漠然とした考えになった… :D
(peki)