02/15 22:30 @yoshimatsuTUQ X68000の場合、Oh!Xや電脳倶楽部といった全国的な専門誌が同人ソフトには注目していなかったため、「全国的なレベルで同人ソフトを中心とした拠り所」そのものが実は存在していなかったのではないかと思われるフシがあります
(doda)
02/15 22:40 @yoshimatsuTUQ X68000の場合、そこでゲームを作り始めたとして、そこに留まり続けず「ちゃんとゲームを売れるプラットフォームへ移行する」道がいくつもありました。そしてそのプラットフォーム上で道具としてX68000を使い続けることができた、ということもあります
(bibo)
02/15 22:55 X68000話。メインPCとしての終焉を迎えたのは95?96年…ちょうどWindows95ブームが来た頃…だと思う。そして97年にはもうex68が出ていて、仮想マシンとして歴史を保存する動きが始まっていた。日本で実マシンと仮想マシンとのブランクが最も短かったマシンだと思う
(boga)
02/15 22:04 @kiwamoto @gorry5 あの時代の場合、大型のコンピュータの存在に触れて理解できていたかが理解を左右すると思う。うちの両親は金融系だったから、日本全体の中でも一番早く計算機化の波がやってきて、それがもたらすものの大きさを知っていた様に思うからわりと理解があった。
(zoku)
02/15 22:40 (
@gorry5)
@yoshimatsuTUQ X68000の場合、そこでゲームを作り始めたとして、そこに留まり続けず「ちゃんとゲームを売れるプラットフォームへ移行する」道がいくつもありました。そしてそのプラットフォーム上で道具としてX68000を使い続けることができた、ということもあります
(bibo)