この日記はGNSで生成しています。 |
_ クサい言葉を思い出させていただいて、どうも(苦笑)。「特定のweb日記システム」があったわけではないし、そもそもこの頃は「配布されるweb日記システム」なんてものも存在していなかった。むしろ、web日記なんてのは「各個人が書きたいように書くもの」で、誰かのシステムを借りてきて書けるものじゃない、という印象があったように思う。*1
_ ただ、「はうン系」と呼ばれたweb日記著者のほぼ全員が「ある話題について網のようにリンクを張り合うこと」と「更新時刻取得エージェントによるページ(アンテナ)で効率よくweb日記を『巡回』すること」に強いこだわりを持っていたことは間違いない。というか、この2つを軸としてどこまで各々が自由にweb日記を書いていくか、それそのものが楽しいことだったと思う。
_ で、なんかあちこち見てみると結局「無断リンク」の話になっているのね・・・。現実世界*2では人と人のコミュニケーションにおいて「場」の存在は不可避なんだが、web日記の世界では「リンク」(とreferer検知)という技術により「場」を作ることなくコミュニケーションが得られる。そのことに気付かないor気付いても納得できないと、「リンク」という行為は「『場』を作る行為」であり、すなわち「無断リンク」は「こちらの思惑と関係なく相手に勝手に『場』を作られる行為」であると思ってしまう・・・のではないだろうか。
*2: 実際は現実世界だけではない。メーリングリスト・BBS・NetNews・Chatなど、ネットワークを用いて構成されるコミュニケーションでも「場」は発生する。
_ ところで、「場の存在しないコミュニケーション」の最大の利点って、知っているだろうか。それは、自分に都合の悪いコミュニケーションの要求(リンク)を「誰にも後ろ指をさされることなく、また自分に大きい負担を強いられることなく、無視できる」ことだ。つまり、自分にとって都合のいい要求だけを選択してコミュニケーションできるということ。*3
*3:
たとえば、今回のわしのこの文章による「ゆるやかなコミュニケーションの要求」を、千絵胡椒氏は「わしの日記を読まなかったことにする」ことで拒否することができる、ということ。わしが氏の日記に同じ文章を「ツッコミとして入れる」よりははるかに簡単に無視することができる。
逆に、応答をしたければ、この文章にリンクを入れるだけでいい。そして、それが受け入れられるか拒否されるかどうかは、今度はわしの胸先三寸、ということ。*4
*4: このへん、たとえば最近の「旧かな」論議を見ていて思う。こんな意見の言い合い、BBSなら絶対flameになって荒れてしまう。そうならないのが、web日記の素晴らしいところ。
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ところで一点。千絵胡椒氏の日記、tableタグを閉じていないため、わしの環境ではテーブルの中身(つまりほぼ全文)が表示されない模様。たとえば末尾のほうにある<p align="right">の前でテーブルを閉じることで、表示されるようになる。
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