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12/09 00:45 これ意味わからない人いるんじゃ…自分が制作・創作に関わってできた作品そのものや、それに寄せられた感想に触れることなどは、自己存在価値の拠所になるんだけど、消え行くゲームサービスしか作っていないとその「拠所」にならないだろう…という話
12/09 00:45 https://twitter.com/sinpen/status/806783836403048448 (madi)
12/09 01:40 @manabn おつかれさまでしたー (runi)
12/09 01:55 @gorry5 音楽や演劇なんかは「作品として残せる」以外にも「寄せられた感想に触れる」最大の形として「観衆を目の当たりにできる」という、これまたすごい拠所があるんですよ…消え行くゲームサービスのどれほどがそれを得られるか… https://twitter.com/kkazhiro/status/806892012838342656 (remo)
12/09 01:58 (@kkazhiro) @gorry5 おっしゃっていることは理解できますが。自分自身は音楽でも演劇でもなくテレビ放送を例に出しています。「観客を目の当たりにできる」とは限らないサービスです。 (repa)
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12/09 02:01 (@ttosaka) @gorry5 webサービスとか、ネットサービスは、消えると本当に「雑誌などで取り上げられた」部分でしか残らないものねぇ。 (roko)
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12/09 02:08 @kkazhiro その場合、それは「制作・創作たりえるものか?」という話になりそう… (roru)
12/09 02:08 (@manabn) @gorry5 ありがとうございます^^ (roro)
12/09 02:11 (@kkazhiro) @gorry5 ごめんなさい。伝わらない表現だったので言い直します。かつて技術の制約ゆえに一過性で消え去るものであって、今でもそこにアイデンティティの多くをおいているテレビ業界のように、商業上の理由で一過性であることにアイデンティティを置くのはありうるのではないかと考えています。 (rodo)
12/09 02:11 (@kkazhiro) @gorry5 それこそ生放送でしかありえなかった初期のテレビドラマは創作とは呼べない、みたいな話になって、それはそれで別方向を全力に殴りに行くことになりかねません。 (ropa)
12/09 02:26 (@MobileHackerz) @gorry5 たとえば「ニコニコ超会議」のスタッフとしてウェブサービスの開発をしながら「観衆を目の当たりに」する機会がある、という例もありますし、人気ソシャゲはファンイベントを実施することも増えてるので積極的にそういう場に出て行くようにするといいかもですね (gada)

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