Last update: Saturday, 04-Jun-2011 17:29:53 JST |
_ しんくろでは初めての、博多天神経由あんな店。同じ博多でもふくちゃんとはまた別の風味なので使い分けできるかなーと。
_ ふぁるるんの怪しいブツ回覧とか、古い写真公開とか。ちなみにブツはわしんとこに設置されることになったので、体験きぼーんな人は当方まで。
_ あと本日のお買い物。よーやく見つかった・・・これだから川崎駅前は・・・^^;。
AIRと銀色。もう明らかに分かれているかと思う。わしの知っている範囲だと、T2Uと銀色に同等の評価を与える人が多いような。この2つの共通点は「書き手は物語を創って世界を見せようとしているのに、読者に提供されたものは世界としては未完成な物語の断片だけであった」ことではないかと。物語の断片が、世界という完成したかたちを取れていないということ。
_ 見える断片から、見えない欠損部分を補って(独自の)世界を構築できる人。もちろん確固たるモノを補うには、断片に強烈な個性・・・力強いなんらかの特徴を見つけられなければならない。ゲームは「プレイヤーが参加することで完成する物語」である、という定義は大昔からあるが、「見えない欠損部分を補って世界を構築する」ということはゲームプレイヤーの参加形態としては非常に面白いものの一つだと思う。
_ 翻って、ONE。見えない部分はあったが、それは欠損部分でなくてブラックボックスであり、世界は無事構築されることができた。ブラックボックスは構造が解明されればブラックボックスではなくなるが、それを解明する作業は「欠損部分を補う」ものに近い。そしてKanon・AIRと進むにつれ、このブラックボックスは減っていき、また世界をつくる断片は創造者にとってのみ汎用性の高いもの、つまりカスタムパーツとして洗練されてゆく。Kanonはまず比較的小さい世界を作ってみることで物語パーツの完成度を高め世界の創造手法を確立し、それを生かしてAIRという巨大な世界を構築してみせた。
_ こうなると、もはやプレイヤーはその世界を体験するのみで、世界の構築に参加することはできない。世界は強固で物語パーツはカスタム仕様となれば、それを流用して独自の世界を作ってみることも難しい。またそんな巨大な世界を体験するには大きな労力が必要になるだろうし、その苦労の分だけ味わった世界が美味しくないと「ヲレならここをこうするのに」となってしまう人がいる。つまり、誰かによって構築された世界であっても「自己の世界」に写像できないと満足できない種の人間がいるということだ。
_ しかし、そんな「自己世界への写像」なんかしなくっても、構築された他人の世界をそのまま歩いていける人もいる。こういう人は、ある程度構築されていればどんな世界も比較的楽しむことができるが、ちゃんと構築されていなかったり、理解不能な世界は楽しむことができない。そういう楽しみ方は上の「ゲームの定義」には適合しないが、楽しめれば別にゲームでなくたっていいし、もちろんゲームの定義を否定しているわけでもない。
_ こういった人にとって楽しむことができない世界、いや世界のもとになる断片を、自分が楽しめる世界に再構築でき、またすでに構築されている世界をも自らの世界にしないと気が済まない人が、あるるんとかsugichさんとかみんさんとかいちせさんとかじゃないかなー・・・とか思うわけだ。判断基準の違いは、まずこの「自己の世界」を持つかどうかの差があって、持っているならさらにこの自己世界の差から生まれ、持っていなければ単純にその世界への満足度で生まれるものなのではないかと。
_ ちなみに、東鳩はカスタム化された物語パーツではなく、もっと使いやすい汎用な物語パーツでの世界構築に成功したことが、どっちの側の人にも楽しめる領域を用意できた勝因ではないかと考えている。ただ、汎用パーツはカスタムパーツよりずっと作るのが難しい・・・というか「何をもって汎用と位置付けるか」の設計が難しいのは、プログラムの設計をしている人なら常に頭にあることだと思う^^;。
_ ・・・しかし、こんな文章で読者に伝わるんだろうか・・・かーなーり好意的解釈がないと伝わらない気がする(汗)。
T2Uを出したのは、感想に書いて・・・ないな^^;。「『ドラマのシナリオだけを読んでいる』ような感覚」という言葉の背景に、「伊之助」「健」「ル子」その他諸々という魅力的なパーツがごろごろとあるにもかかわらず、それによる世界構築が素描レベルとしか感じられなかった・・・いや素描というか、パーツが「既製品を持ってきた」だけで、構築者の手になじんでないせいで世界がハリボテっぽくなっているような、そんな感じがあったんです。そのときと同じようなものを銀色にも感じたから、並べて書いてしまったのでした。
_ あと、今回においての「世界」は「作品内の世界」じゃなくて「創造者が創作の拠所とするもの」です。創造者が物語を創るための思考の場とそこを支配する感情であり、またゲームにおいてはプレイヤーに提供し体験させ物語を完成させてもらうための場とそこを支配するルールでもあります。ある意味、創造者の妄想フィールドともいう・・・。
_ で、今回名指してしまった方々には少々申し訳なかったかとも思ったが、興味あるものも見られたのでいいかなーと(汗)。いちせさんの世界の完成度のレベルということなら、「世界」という単語をさっきの「創造者の妄想フィールド」に置き換えてみれば、銀色が「妄想してみました」なのに対してAIRはもう病的なまでに「妄想の底から絶叫している」と思うんです。あるるんは評価関数みたいなものをいくつも持てるんだろうし、みんさんはわしとはかなり異なる評価関数を持っているんだろうなぁと。
_ 二次創作のネタにしづらいからって評価が下がるということはないはず。ただ、単純に「作品そのものが評価される」のとは別に「二次作品により原作が(リファレンスとして)評価される」領域が存在していることは事実。ただ、ギャルゲーやえろげはその領域が他のメディアと違って異常に大きいものであるということは否めないとは思うが。
_
シナリオに限らず、自分の思惑なんて簡単に思った通り相手に伝わるもんじゃないです。そして伝わったところから物語が始まるんではないでしょうか? そしておそらくこんな日記さえもが物語で、そして著者は世界の創造者。
_ 語の定義の変貌。わし自身も考えながらその過程まで書いてしまっているから、途中での非難は甘んじて受けるしかない。というかそれがないと自分の考えが進歩できない、という意味では攻撃的ネタフリかもしれない。
_ ・・・という構造がわしにはあるようだ。1.〜4.と5.〜8.は対応した構造。3.は4.を、4.は3.を生みながら膨らみ、そして完成した4.が5.〜8.を生み出す。だから4.が作るのは3.と5.〜8.の両方。読者は4.に触れることで5.を体験し6.〜8.と出逢い、そしてわしはそこから3.を見出すことを楽しむ。この認識に辿り着くまでの思考が、いままでの文だ。
_ 3.と5.以降、または5.以降同士を結ぶ4.のひとつ、つまり3.を探るための単位が「物語パーツ」。で、ONEの4.に置かれている「えいえん」は、どことどこを結んでいるのかがわからない「ブラックボックス」なパーツであった。AIRではブラックボックスはなかったが、やはり分かりにくいと思われたり受け入れられなかったりすることは少なくなかったようだ。
_ 6.で記号化を明確にしておくと、3.と5.以降を結ぶために使うべき物語パーツが選びやすくなる。とはいえ慣れた汎用パーツを普通に使うだけではただの真似・・・ということで新しいパーツを生み出すのが創造者の重要な仕事だが、ここにおいてAIRの創造者は「パーツの汎用化」を考えずに創造者のみがもっとも使いやすいようにパーツを洗練させていってしまっている、と感じている。汎用化がないと、そのパーツに共感がなければ拒否されてしまうし、逆に共感を持てればその洗練ぶりはそのまま共感度の向上になる*1。どっちにしても、流用は難しい。
*1: これ書いたあとにぐるぐるしてたら、「半ば強制的に愛で慈しませようとする」というWhite氏の記述を発見。これのほうがずっとわかりやすい・・・^^;。
_ 私が見たいのは家ではなく、人だということは、6.〜8.に重きを置いたとみることができる。わしは4.から見出す3.に重きをおいた。
_ で、4.から「読者である自己の世界」つまり3.でない別のものを見出し、新しい4.を生み出すのが創作活動。とくに5.〜7.をそのまま流用し、新しい8.を生み出すことで新しい4.を創るのが「二次創作」。7.の拡張にうまくいくと5.・6.に補強が効き、新しい視点や解釈を生む深みのある二次作品ができることになる。読解は5.〜8.を解析して4.を理論付ける行為で、3.がよりよく見えてくるようになる。批評は5.〜8.を生み出した4.に対して行うわけだ。
_ AIRは、最後で5.を閉じて読者を追い出している。閉じられちゃ追加はできない。パーツの流用も難しい。だから新しい4.〜8.を生み出すのは至難で、それができたらとっても読んでみたい、ということだろう。
_ もちろん、こんな考えの過程に疑問の発言があれば、それをもとにまた考えることができる。楽しいじゃないか・・・大変だけど^^;。
_ 久しぶりに晴れた土曜のアキバを散策。
_ 実はGMLサイトを知ったのはごく最近で、なんかベーマガのVGM投稿コーナーの最盛期を彷彿とさせたので、とりあえずひと通りCDを買ってみた次第・・・ちなみに最盛期は10年くらいも前。ジジイだなぁ(汗)。エンセレはようやく保存用に買っておいてもいい値段で発見したので。
_ 池袋にて、ふぁるるん主催の蔵王ジャンボパフェ攻略にロボ・ぱやーん・にらたま・かけーんという構成で挑む。
_ パフェはチョコ・いちごと期間限定で「紅茶」があった。わしは紅茶を選択。なお今回はひとり1つ完食がテーマだ。
_ ・・・いや、でかいのは知っていたけど、
_ でかいっすよ。CD-Rがあったので、大きさ比較にいちごと並べて置いてみた。当然12cmだ。金魚鉢という話をきいたこともあったが、間違いなく金魚鉢サイズだ。
_ スタート。まぁ味は普通だ。少々甘ったるいが、紅茶の風味のおかげでいくらかそれも紛れる。わしの器は上が開いているのでほじくるのが楽だが、他の器は上が閉じているので難しそうだ。
_ ・・・わしは約20分で完食。続いてにらたまがフィニッシュ、ふぁるるんとかけーんが主催者とアイス部主宰のメンツにおいてなんとか終了、ロボとぱやーんは惨敗。
_ なおゆっきーさんが立ち合いとして参加で「はじめまして〜」だったり、朽木さん途中合流で「お久しぶり〜」だったり。
_ なびろぐにリンクを張る場合は、どちらでも構いません。わし的にはhauN側がミラーなんですが、リアルタイムで同期をとるようになっているので、ほんの1〜2分のタイムラグを除けば差はありません。ただshonanは1996年から全く値下げされていない(5000円/月)のが・・・かといって張られた大量のリンクを無下にするわけにもいかなくてねぇ・・・。とはいえ全部hauNに張られると今度はネットワーク資源が心配だったり。今くらいの割合がちょうどいい気もしてます。
_
Apacheのディレクトリリストを「出さないようにしよう」と思うのはわしだけではないと思う。
_ 「4.物語」の両側にある「3.創造者の世界」と「5.作品世界」の差がわからないという話があった。3.から派生・継承してできる一部分が5.だということ。3.には4.には直接ないものが含まれるということ。4.は5.だけでも構成可能であるが、3.を結ぶことでいろいろ面白いことができる・・・暗喩とか行間に含むものとか秘めたる想いとかパロディとか。
_ ゲームの場合、4.に参加することで5.が変化する。変化量が大きいほどプレイヤーは深く参加しているという認識ができ、満足度は上がる。5.の変化の範囲を3.で定義しシミュレートしておくことが当然必要だが、その範囲を超えてゲームそのものが崩壊してしまったり創造者の考えになかった世界になってしまったり、逆に変化範囲をプレイヤーが知覚できなかったり、変化に追随できずに困ってしまうこともある。
_ 話変わって・・・最近読んだまんがで、ここ最近の日記関係ネタにからみそうなものがあったので書いておく。
_ 「あの日見た桜」(藤野もやむ)/エニックスガンガンウィングコミックス・ISBN4-7575-0316-4。ときどきぶらっと新しいまんが作家を開拓してみることがある。予定買いのまんがは全部購入記録を書くけど、新規開拓分は書かないこともよくある。そんな中での、購入記録以上のわしヒット記録として残す。わしにとって作品世界だけでなく創造者の世界を好きになれる一例。既刊があるようなので探してみるか。
_ 「永遠の夜に向かって(1)」(佐伯かよの)/秋田書店ボニータコミックス・ISBN4-253-15818-8。あらすじは注釈*1で。YU-NOやP17nが「永遠に回り続ける時間からの脱出」というコンセプトで評価されているのをいくつか見た(わしは未プレイ)んだが、同じようなものなのか? 「動き出した」あとをAVG形式にすることは簡単に思いつけるし。
*1: とある学校の教師(主人公)が、終業式の日のなかで閃光に出会う。その先は過ごしたはずの今日の朝だった。自分の過ごした通りの今日が展開されていく中で、なぜか校内の人間が減っていることに気付く。主人公は、彼らのほとんどが今日を循環していることに気付いていないことを、この今日があった世界はすでに滅んでいることを、今日に未練を残してしまっている彼らが今日を循環させていることを、そして今日を閉じるには彼らを未練から解放し循環を断ち切らなければならないことを知り、動き出す・・・という学園ミステリー。
_ 静岡のクロンボの大ジョッキパフェですか・・・覚えておくように>担当*2
*2:
誰のことだ?
_ TDS/hnsとGNSの決定的な違い。そもそもGNSは「HTMLを書くのが面倒な部分を簡単な入力で置換させるためのフィルタ」思想で設計をしています。TDS/hnsをはじめ本格的(?)なシステムで導入されている「構造文書レンダラ」思想ではないので、単純で速いのです。
_ ふーむ、蔵王はクロンボやグランブルーの比ではない、と。覚えておくように>担当*2
*2:
2度もやるか・・・^^;。
_ 挿入歌の演出効果。やはりAIRの「青空」だと思うわけで。以下ネタバレにつき隠し。
_ これにこめられたと思われる演出効果を挙げてみる。
_ 声がないはずの作品で、注意を最大に集めた状態でいきなり挿入歌という形で声を聞かせる。これにより、スナッチャーの「爆弾」のように「周囲音を小さくした状態でボリュームを上げさせ、そのままいきなり最大音量の爆発音を聞かせる」のにも似た効果を与えることができる。声ありの作品ではできないか、効果が薄くなってしまう手法だ。 _ ただ、ここで足りなかったなと思うことがある。ここから強制進行モードに入るまでにしばらく猶予があることだ。つまり音声と文章という2つのレイヤーが進行するところでさらにプレイヤーにクリックを要求する状態になる。これは、
_ という問題があると思うのだが。 |
_ ごうちゃ経由でaddictionの3つの層。わしら、間違いなくこの文章のターゲット層だよな・・・^^;。
_ わし自身も、日記の記述方法はエディタで書いて更新フォームへコピペ。下書き用の文書ファイルはデスクトップでもmobioでもスタートメニュー直下にアイコンを準備しているのでいつでも開けるようになっているのだが、このファイルがもう今年だけで15000行になる・・・。
_ 一番最初に自作した時のパーツが全部消えましたか・・・わしのはマザーがぽなくなった以外はそのまま順調に予備パーツに回り、そのうちそっくりそのまま1台分のパーツが余ってしまって2台目になってたりするんだが・・・^^;。
_
普通の日本人は無意識のうちに歌詞を解読するのか・・・わしは意識して歌詞を聞かない限り、歌でなく音としてしか声が聞こえない模様。というか、通常会話でも「音には聞こえるが言葉としては認識できない」ケースが案外多いらしい。聞き返しが多いのはそのせい。
_ 人の声を音として聴いてしまう人、他にも い る ようだ。
_ さくら劇場版2が2001/01/25か・・・チェック。
_ HTMLエディタ。正直いって、手書きに勝るHTMLってなかなかないような。いや手書きというより「HTML思想を知らずともに自然にHTML的な文書が作れる」ツールがなかなかない、というべきか。わしはIBMのホームページビルダーを親父殿に使わせているけど、あれは「HTMLを書けない人でもHTMLっぽい文書が書けるツール」ではなかった。IEでしかちゃんと見えず、しかもほとんど可読でないイカしたcssを吐いてくれるし。まぁ、使える人がちゃんと使えばちゃんとしたものができる *1道具だとは思うんだけども。
*1:
ホームページビルダーで作成されているとソースに書かれているし、前に日記のネタにもなっていた。
_ mxvとともに、WDBの改版作業を開始。とりあえずSDBを新版に切り替えてテスト中。朝日奈MLにポストされたhina.diのドキュメント(暫定版)に沿うようにするために根幹部分に変更が入ったので、V2.00にバージョンが上げている。しばらく稼動させて問題が出ないようなら、配布用パッケージ制作に入る予定。
_ ふと、ウチのサイトのアクセスログをひと通り眺めてみる。うちのサイトは主要ファイルごとにログが見られるようになっており、例えば日記なら各旬単位でのアクセスを調べることができる。春から夏にかけて全然書くことがなくて日記が非常にスカスカになっていたが、8月後半あたりからみょーにイベントが増えたのと、えろげラッシュでプレイしたり考えている時間が多かったせいで、日記が長くなってアクセスも活況を示しているのがよくわかる。
_ 例えば今日の日記が属している「2000年10月中旬」ファイルには、すでに春〜夏の各旬日記ファイルの3倍くらいのアクセスがある。このアクセス数は、よくある「トップページに置くカウンタで計る数」とは意味が異なる。あれはブックマークなどによる定期巡回ルートから来る読者、つまり「自分のページの馴染みの読者の数」を知るための指標としてはちょうどいい。だが、これら日記の過去分ファイルへのアクセス数は「わしの文書を読んだ誰かがその後にそのURLをどこかに残し、それを辿ってやってくる」読者の数だ。自分のページの馴染みの読者の数ではなく、あえて言うなら「リンク先のページの馴染みの読者の数」だ。トップページなどと比べれば、断然「一見さん」の比率が高いのだ。・・・いや、相手によっては読者層が似たようなもんだったりするので、特別に一見さんが多いというわけでもないが、それでも割合的にはずっと多いはず。
_ ・・・ああそうだ、春〜夏のファイルのアクセス数には「サーチエンジン経由で来た結果」や「バカなロボットが大量アクセスに来た結果」が含まれていることを思い出した。それを除けば差は10倍にもなるかもしれない。そもそも、そんなののアクセスが積もるような時間の経ったファイルより、今作っている最中のファイルのほうがずっとアクセス数が多いということだ。
_ ・・・ああ、サーチエンジンで来る人の数は馬鹿にならない。ウチだと、今日10月19日だけでも延べ約200人がサーチエンジンでウチのどこかのページに辿り着いている。ウチなんか大してエロネタなんかないはずなのに、1割くらいはエロキーワードで来ていたりするし、かなりの割合で日々書いている夕飯の献立でサーチしてくる人も少なくない。
_ 日記みたいな駄文といえども、どうせ書くなら知恵絞っていろいろ書いて、それがウケて読者がやってきてくれるほうが楽しい。考えること自体も面白いし、いつか実にもなる。実際、春〜夏に日記を書きながら考えたことより、最近日記を書きながら考えたことのほうがずっと心に残りそう。・・・などという締め方はキレイ事で、実はやはりヨゴレなのかもしれないが。*1
*1:
まぁ、今旬のファイルで前半でちょっといろいろ物議を醸してしまったことに関してはツッコミが入るかもしれない。でもあれは過程はともかくあのとき採れたいちばんの方法だったと思っているし、実際自分の中ではうまくケリがついたことになっている。
_ 昨日ようやく届いたとの連絡が入ったので、F209iデータリンクソフトを受け取りにドコモショップへ。CD1枚か・・・なんでこんなもん取り寄せるのにひと月弱もかかるんだ。というより完全に客の受注をしてからメーカーに発注しているようだ。そもそもこの程度のものをこんなヘタレな流通使って別売りで配布する理由はないだろう・・・面倒だし儲からないし。CDの配布コストを考えたら、携帯電話に付属で十分だと思うんだが。
_ とりあえず起動。W2Kは動作対象には入っていないが、問題なく動作するようだ。しかしこのBorlandユーザー特有の色キチは何とかすれ・・・。機能そのものは「まぁこんなもんだろう」的で、面白くもなんともない。電話帳はある程度生に近い形のものとCSVの両方の読み書きが可能、iモードのメールやブックマークが共有可能、iメロディ作成可能、画像やiアニメの流し込みが可能(吸い上げはできない)。
_ iメロディ作成の画面はかなり使いにくい。デモ曲で使っていたような、オリジナル音色や特殊な音符の入力もできないようだ。つまらん。iアニメはつまるところ動画GIFだが、何が悪いんだかわしが作成した動画GIFはPCのブラウザでの表示シーケンスでは表示されないという謎現象が発生。そのうちiモード側のブラウザで実際に確認してみる必要がありそうだ。
_ ゲームのBGM。ゲームといっても、いわゆるADV型ゲーム限定。アクションゲームや、車・飛行機なんかのシミュレーション系は効果音や環境音は「それが命」なので。
_ BGMと声ばかりで環境音や効果音の使用があまりない理由は「リソースが割けないから」。
_ 環境音も効果音も、ほとんどは実在の音をサンプリング、加工して大量にライブラリ化させておかなければならない。そんなことができる人は音楽を作れる人よりずっとずっとずっと少ない。しかも貯めるだけじゃダメで、今度はそれをスクリプトで表現しなければならない。そんな技能が育つ土壌は、今のところまだないだろう。
_ 環境音は(声などに比べると)音楽並みのクオリティで収録しないと使い物にならない。このため膨大にメモリやディスクなどの資源を消費してしまう。たとえばAIRの「蝉・虫・雨・風・波・花火」は22KHz16bitステレオ収録で、それだけで50MBあって、これ以下のクオリティでは劣化が激しくて使用に耐えないのではないかと思う。また環境音は結局は背景の描写にしかならない。BGMは背景の描写という意味では落ちるが、それだけでなく同時に制作側の感情を伝えたり視聴者の感情を操作したりすることができる。同じだけ資源を消費するなら、どっちをとるかといわれれば音楽をとるのは自然だろう。
_ 一般的な映像表現に付随する音声は、さまざまなソースを最後にミックスダウンして1つのトラックに収めてしまえば、それまでにかかったコストは忘れてしまうことができる。しかし、ゲームの場合は数々のソースをシステム自らがデータとして持ち、ミキシング処理するというコストを払わなければならない。
_ こうやってコスト計算していくと、結局音はBGMのみで済ませるというのがいちばん現実的だということで、ずっとそれで来たんじゃないかと。声が使えるようになってからは、それ自身が直接商品の一部としてアピールできる・・・つまり簡単にコストに見合うだけの価値があるように見せられるということで使われるようになった*1。これに比べて、環境音や効果音は直接宣伝材料にならない割にコストはかかるし、実際にコストをかけただけの効果があるかどうかを予見しにくい、ということで使われない。まだ「当然のようにあるべきもの」という認識がないのだろう。
_ 「無音」が唯一コスト無しで実現できる環境音であるということに気付くと、案外その環境音が使えるシーンは多くないことに気付くのではないだろうか。逆にそれを浮かび上がらせるために、そうでないときはずっと音を出し続けていなくてはならないと。
_ そういえば、Kanonは最初のほうはあちこち効果音が入っているんだけど、入っていたりいなかったりするのがかえって気になってしまうというつまらん結果になっている。また、AIRの蝉や虫の声による「夏」の描写力アップ・・・これがなかったらこれほどまでの夏の気分はなかったろうなぁ・・・とか。
*1: 本当に価値ある使い方をされているかどうかは・・・。
メールはこちらへ...[後藤浩昭 / Hiroaki GOTO / GORRY / gorry@hauN.org]