Last update: Saturday, 04-Jun-2011 17:29:37 JST |
_ 最初にお断り。わしがhauNを知ったのは96年夏、属した(と思われる)のは97年春〜夏くらい。つまりすべてはわしが知らない時代のことで、伝聞とgoogleによる調査をまとめただけにすぎない。
1995/不明 |
しゃあるによる、「段落アンカー」を用いたリンクコミュニティ形成を前提とする日記システムの発明。
この当時、ネットワークを用い、かつ後から不特定多数が参照可能な複数間のコミュニケーション手段は、NetNewsとBBSがメジャーな方法であった。これに対して、「相手のページの段落(テーマ)へのリンクとともに、自分の意見を自分のwebページに書く」という手法を生み出し、さらにこれを「日々の記録」という形で「日記」としてまとめたのが、「段落アンカーによる日記システム」である。
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1995/秋 |
これにより、以下のような技術が付随して発生した。
これにより生まれたコミュニティを、「はうン(hauN)」と呼び始めたらしい。発生経緯により、以下の特性があったことが推測される。
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1996/05 |
パッケージングされたアンテナシステムは、これらのコミュニティを「別の視点から覗き見る」ことを容易にした。誰でも(とはいえ、やはりこれらの設置にはある程度の技術は必要ではあったが)容易にアンテナを構築できるようになったことにより、hauNコミュニティの外部にも存在していた「これらの技術を同様にもった個人またはコミュニティ」を「同じようなことをやっている連中」として結びつける現象が発生した。
・・・わしはこうしてhauNに取り込まれた、といえる。
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_ あちこちで何度も語られているが、現在までに発生した「hauNに関わりがあるもの」について。
_ 7.はもはやhauNとは直接関係はないのだが、名札などにはhauNの面影を残してある。
_ 8.は、つまるところ現在「hauN」なるものが何なのかは結局わからんということでもある。名簿もなけりゃ親分もいない。ただ最初に「べんりくん」にかき集められた日記の集合体が変化融合を繰り返したなれの果てでしかない、ということでこれが先のc・d属なわけだ・・・。
_ 追記。かうがその昔にhauNの基礎知識を書いたのをすっかり忘れていた・・・^^;。
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jagarlさんとこ経由でカップ・グラスをどっちの手で持つか。この手のって、ふと考え出すと持てなくなる罠・・・(苦笑)。わしのキーボードの横に置いてあるカップは左手だな・・・右側にスペースがなくて左側に置いているからだけど。しかし今使っているカップは右手持ち用にしか絵が入っていなくて、左に置くとつまらない罠。
_ というよりは、「hauNって何?」と訊かれたときにどう答えるべきかの整理か。
_ 狭義にはhauN.orgを指すものでは・・・ない。hauN.orgは「3.(2.のうち、顔見知りにより構成されたhauN-MLと、hauN IRC)から発生したもの」と説明した通り、「『当時hauNだったもの』の一部+その外の人」でつくられていて、今はもうhauNとは何の関係もなくアカウントを持っている人が何人もいるし。実のところ、hauN.orgができた時点においては、hauNというコミュニティはすなわち「hauN-MLとhauN IRCのメンバー」であったといっていいだろう。
_ 「じゃそれは誰よ」という質問には、残念ながら答えかねるということで。hauN-MLはクローズドだったし。また、実はこのころからこのコミュニティはだんだんと静かになっていってしまった。そして個々が広げた付き合いの輪をあちこちで共有するといったことが発生して、hauNだったものの境目が徐々に薄れていった。
_ そんな状態で「hauNって何?」と訊かれたら・・・「当時hauNだったもの」だけじゃ足りないし、かといってわしが「hauN起源で集まった日記者の集団」をhauN呼ばわりするわけにもいかんし。まーひとつ言えることがあるとすれば、今度開かれる「『当時hauNだったもの』のメンバーの結婚を祝う会」に来る人は、全員hauNの内側じゃないかとは思う(笑)。
_ でも、そんなこととは関係なく、「ある特定の集合」ではなくて「このへんの日記者の方面」とかいった感じの漠然とした集合を指したり、あるいは(NEWSでのわしの使い方のように)単にシンボルとして掲げたりという行為は、ずっと続くんじゃないかと思う。
_ それはさておき、別方面。
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hauNが共有していたものは、特定のスクリプトやそれが集まったものとしてのシステムではなく、もっと基本的な「仕組み・仕様が集まったものとしてのシステム」ではないかと。そしてそれを理解し、実装し、それでコミュニケーションをはかろうとする者の集まり。それが最初期のweb日記コミュニティhauNだったのだろう。Windows95が出るか出ないかという頃、インターネットに繋がる環境はまだ家じゃなくて学校や会社がメインだった頃。始まったばかりのwwwを玩具にすることができた若き技術者たちの、遊びのひとつだったといってもいいと思う。
_ 「(自分の)日記で書くにはながいのでめーる」とかう・やちから届いたので、コピペ。
配色 | かう | やち |
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_ > かう・しゃあるによる、べんりくん誕生。最初の「自動更新時刻取得システム」(アンテナ)。
しゃあるさんは関係ないよ。 |
うい、べんりくんは北大情報工学専攻知能工学講座の面子が、 (かうを中心として)作ったものだったよな。 メインコーディング:かう、技術支援:ばた、たか<三名とも知能院生 みたいな感じで。 最初はほんとにただのブックマークページだったね。 |
大野はいなかったよ 津幡がHEADで更新時間とれるというのをどっかのぱげで発見して そのぱげとPerlのsocketの使い方を教えてくれて それをわしが日記に適用しただけ |
_ > リンク先の更新時刻を自動取得、ソート、表示
ソート機能はありません。今も昔も2段組。そんなに数がなかったので 上から順によむよりも、自分が読みたい日記の場所を覚えておいて そこの色が変わったらクリックするってので十分だったから。 |
ソート機能が付いたのはいつごろからだろう? 小西さん(という方から電話)の「そおとデぽぽぽ」が、覚えている 最古のものかな。 #ぽぽぽって何の略だっけ?>かう ぽくだいポリマーぽなくなりだっけ? |
うん。 ぽぽぽが最初だとおもう。 でもめたばぶとぽぽぽってどっちが先だっけ? |
_ > URLに"?〜"を含めることによる、未読/既読でリンクの色を分ける技術
1995/11/4らしい http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/kau/200103c.html#20010329-6 |
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> これにより、以下のような技術が付随して発生した。
> 最新の日記を表示するためのURLを固定にし、アンテナから1クリックで日記が表示されるようにする
最初はそうでもなかった。 そもそもべんりくんができた頃は 日記の日付が新しい方が上っていう書き方はほとんどなかったので クリックしてからスペース連打とか2クリックでやっと日記が読めたりとか。 もとは津田リンクスの、日記更新自己申告ボタンからはじまってるから リンク先は日記のタイトルページだったひともいっぱい。 週一回とか月一回ターゲットとリンク先を手動で修正してました(笑) 1クリック、べんり始動して半年経ってもそうじゃない人が複数いた模様(笑) http://x.haun.org/diary/960506_960512.html の5/6と5/7 |
そう、昔は単純に新規の内容を下にくっつけていってたので、 その日記サイトに行ったらいちばん下までスクロールさせなければ いけなかったんですね。 |
わし注: 技術が発生しても使わない人もいるので。後も同様。
_ > 最新の日記に、特定の段落(テーマ)へのURLを「過去日記へのURL」としてリンクを準備する
これも最初はぜんぜんなかったよ。 せいぜい日付に>A name>だった。 段落タグなんかができたのはもっとずっとあとだったような。 ぐささんは97年の8月末からだって。 http://x.haun.org/diary/199709_1.html#19970901_07 |
_ > これにより生まれたコミュニティを、「はうン(hauN)」と呼び始めたらしい。発生経緯により、以下の特性があったことが推測される。
hauNて何?ってきかれたら。「起源(というのも変だけど)は、ろむ蔵がWeb上の日記で使用していた感嘆詞(独立語?)。意味はだいたいガビーンとかと同じ」でいいんじゃないかと。だめかなあ。 でhauNを気に入った人の主な症状: ・日記でhauNを使用するようになる。 ・$a,$b 等を重要な変数の名前にするダメなエセプログラマが $hau1,$hau2 を使うようになる ・日常会話でもhauNをつかうようになる。 ・「はう?」と聞き返したり「はうんてき」「なまらはうん」等という活用をしだす。 ・雑誌や書籍などでhauNを布教したくなる(ぉ これら「hauNを常用する人」のことを総称してhauN者て呼ぶのがいいようなきもする。 だからhauN系は?といえばhauNという単語が気に入っている人達のことだね。これもだめか? |
ろむ蔵がIRCでよく「はうン」とか「ぽめれちょう」とか使ってて、 それが起源ですな。えヴぁんのtest-MLを本格稼動へ移行するときに 「どんなML名にしよう」ってなときにhauN-MLになって、それから 広まったんだっけか。 |
うん http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/kau/199902a.html#19990206-13 |
あ、あと hauN の別の意味として html authoring utility Named hauN があるというのは、一部ではあまりにも有名(わら) |
ガビーン http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/kau/199902a.html#19990208-3 |
ろむぞうはあんまりIRCしてないよ。 なんか入りたくても入れなくてすごいはまってた記憶ある。 当時はwindows(DOS?)用のIRCクライアントがほとんどなかったんじゃないかなあ。 |
なにゅー、ということは、あれらのやりとりはすべて メールチャットだったのカー。 あまりにもやりとりの頻度が高くて、てっきりIRCだと 思ってた。 |
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> 「日記」は日々繰り返し読まれるコンテンツである。記述内容だけでなく、アクセス方法が簡単である必要があった。
> 要求と所有していた技術から、これらのシステムが発明された。これらは日記の巡回にかかるコストを大きく減少させたため、このシステムに参加できる日記とそうでない日記は分けて読まれるようになった。
当時は津田リンクスが絶大唯一のもので 日記書いた人はここに申請すればよかったよ。 だから当時は自分が読んでいる日記の一覧を作成して 自分用のブックマークとして利用しつつ、 新しい日記の開拓には津田リンクスか他人の日記のブックマークを使っていた。 というより日記本文で「おもしろい日記発見した!ヨメ!」とか報告されてた気がする。 |
わし注: 津田リンクスのフェードアウト(というか、頼らない人の増加による相対的な依存率の減少)と、これらのアンテナ技術のフェードインがほぼ一致したと認識している。きわもぽ的アンテナ話がちょうど見つかったのでリンク。
_ > このシステムに参加するには、同等のものを自ら実装できる能力が必要だった。結果、参加者は「このしくみを理解し、実装できる者」という、大きく限定されるものとなった。
単に僕が読みたい人と仲間に入れてーとかこの人のも入れてーと 僕にアクションしてきた人だけが参加できるシステム(?)でした(笑) 能力とかいらなかったよ。 僕が読みたい人には <!--#timefmt .... --->なんてメールを送ったこともありました。 |
それ以前に、当時ネットやって自ら日記書くような人といえば それなりのスキルを持った人たちばかりでしたし。 |
せんせーい。 くちょもいましたーw |
_ > 同じ技術を持った技術者同士の交流速度は速い。これらはすみやかに打ち解け、話題はさらに専門化・高度化(内輪化ともいう)していき、コミュニティとしての結束を推し進めたと思われる。
hauN者(hauNを{使用|愛}する人たち)とべんりくんにリンクされた者とは違うつもりだし hauN者とHNM(及び初代hauN-ML)も別だと思っているんだけどダメデスか でもhauN北海道とか呼ばれてたようなきもするしなー(汗;) |
ぽっかいどうのメンバー(およびぽっかいどうに深く関係のある メンバー)は、今でもただのhauNとhauN道(はうんどう)を 区別してます。 |
関係ないけど北海道と東京の接点としては キノトロープ IRCの#にっき SCoT なども重要らしい。 |
そもそも、東京と北海道の最初のころのつながりといえば、 しゃあるさんと田辺さんがSCoTでつながっていて、それで 田辺さんがSCoTの集会(というのはタテマエで、のんずクラブの のん会長に会いに来たというのが通説)のために北海道に 遊びに来たというのがオイラの認識なのですが。 SCoTのメンバー(しゃあるさんとか田辺さんとか趣味人さん とか)にたずねれば、そこらへんわかるのかも。 あ、SCoTって何の略だったかなあ、わかんない。 |
#にっき か何かでぐささん(当時は田辺さんか)に来るしか!攻撃を 毎日のようにしていたらちょうどSCoTの集会とのんず(HNM?)の日程が 連続したかなにかで、それを口実にして北海道にきたんじゃないかな。 それ以前からぐささんとは東京で会ってたと思う。 そういえば95年の夏休みに帰省した時に キノトロープに遊びに行ったのが日記書き始めたきっかけ。 日記リンクスはしゃあるさんが88番で僕が89番(たしか)。 あ。今思い出したけどなんで日記かくまえからあみさんとか知ってたのかは 春につくった姓名判断があったからだ。それで知り合いになって 日記かいてもいないのに #にっき に常駐してたんかなー俺(汗;) |
ちがった! ぐささん最初はHNMだけのためにきている!(笑) http://x.haun.org/diary/961028_961103.html 11/2 - 11/4 そういえば卒業したらみんなばらばらになるかもしれないからとかいって 北海道に来る最初で最後のチャンスとかいいながら来たんだった。 |
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・・・あかん、注釈ないと絶対わからんよ、この文章・・・(苦笑)。注釈とか「割り込み俺にも喋らせろ」的なことについては、当方までメールにて。
hauNとは、『何らかの2hopな関係が相互作用して拡大した「関係の関係」』、と言うことではないかと。 当時、まだ津田リンクスしか無い時代、日記のLinkリストは各日記者(にっきもの)が 自身のサイトに「公開ブックマーク的」に「読んでますリスト」を掲載していて、 それを介して、各自の購読(と言うか何と言うか)範囲が広がっていたような気がします。 私の場合、既に友人であったしゃある兄ぃが日記を公開していたので、 面白そうに思い、それを真似っこして始めたのが切掛ですね。 で、私は完全に文系の人間ですし、北大卒でも室工大卒でもありません。 技術的な面ではからっきし、ですが、なぜかhauN.orgですし(私がhauNでは異端なんだけど)。 #まぁ、学生でもないのに室工大に潜り込んでいた、と言う経緯は有りましたが(謎汗苦笑。 そう言う意味では、ComputerとNetworkと日記、程度の共通点ぐらいしか無く、 それぞれが、似たような属性と言うか臭いと言うか趣味趣向と言うか、 そんな「関係の関係」、と言う気がしています。 |
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_ さらに、主将(きわもぽ)の記述もコピペ。
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ごうちゃ宅で、えすさんとまったく同じCFE-02を使っているのにわしのだけ通信状態が非常によろしくないことに気付いて、試しにカードを交換してもらったらバリバリ・・・ということで機種変更。いままで自宅での受信状態もよろしくなかったのだが、大幅改善。
海老名SA |
昼肉の前に朝肉 |
肉を焼こう |
塩ダレで頂こう |
もう一度焼いて |
もう一度食う |
ご飯をもらって |
乗せて食う |
_ 0730出発。GWとは思えないほど流れまくりの東名を下って、0930浜名湖SA着。みかんキティを某方面お土産にげっと。
_ 1000出発。走り出してすぐ、2台前の車がいきなり走行中タイヤバースト。タイヤの破片と車をきれいに避けて事なきを得たが、素晴らしいのはあの状態で見事に減速して追い越し車線から路肩への対比に成功した、バースト車のドライバーかと・・・(苦笑)。
_ 松阪付近。後ろからパッシングされまくった車が退避のためにかけんに幅寄せする危機到来。無事避けたようだが。しかし今日はせっぱつまったかのように走る車が多いな・・・。
_ 1230、松阪の牛銀に到着。皆で牛網焼き10000縁コースにダイブ。
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・・・さすがに旨い。部位の異なるヒレ3種と野菜の網焼き。同じヒレでもここまで舌触りも脂の乗りも違うのかと感嘆。でも最初のは「わかき」の1/2ポンドステーキの肉に風味が似てたな・・・。
鳥羽港を進む船 |
伊勢エビ・・・ |
鳥夕飯(の一部) |
_ ・・・部屋は2F。5Fに比べると眺めはイマイチだがまあ問題なし。鳥羽港は見えるし。
_ 風呂。地下1500mから汲み出した割には塩素くさいな・・・循環してるんかな。
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1900から夕飯。んー・・・旨くないわけじゃないんだが、やたら品数つーか皿の数が多くて食うのが面倒。固形燃料に着火する料理が3つもあるし、そのうち1つは全員が吹き零れるし、それが浴衣にまでたれるし・・・(汗)。正直「味わう」というよりは「やっつける」という感じだった・・・。
APRS-11大活躍 |
_ 朝飯はホテルのバイキング。普通。
_ ひと晩インフラとして活躍したAPRS-11を撤去して、0830チェックアウト。
鳥羽水族館 |
シルエット |
何タナゴだったっけ? |
カエル1 |
雨の真珠島 |
カエル2 |
ピラニア |
うーぱーるーぱー |
うじゃうじゃ1 |
うじゃうじゃ2 |
熱帯系 |
普通のザリガニ |
青ザリガニ |
真っ青ザリガニ |
キモイヨー |
アザラシ |
アザラシと骨格比較 |
アシカショー |
_ ホテルから10分足らず。開館時刻すぐなので空いてる空いてる。
_ 入ったすぐのところの淡水魚系から見る。この手の水族館で淡水魚はあまりお目にかかれないので、珍しいといえば珍しい。しばし見入る。
_ いろいろ見ているうちに、アシカショーの時間に。ど真ん中あたりに運良く陣取れたが、少ないかと思ったらこんなに人が入っていたのね・・・。ショーは無難といったところ。
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なんか人が集まっちゃったので混み混み。ぶらぶらしたりお茶したりして、1200撤収。
メールはこちらへ...[後藤浩昭 / Hiroaki GOTO / GORRY / gorry@hauN.org]