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2003/04版 その3

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この日記はGNSで生成しています。
この日記の画像はOPTPiX webDesigner Ver.4で生成しています。

hauN
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2003/04/21 (月) 晴時々曇

あさ〜

_ 4:00AM充電開始、10:00AM再起動。


web日記コミュニティhauNの考察

_ 最初にお断り。わしがhauNを知ったのは96年夏、属した(と思われる)のは97年春〜夏くらい。つまりすべてはわしが知らない時代のことで、伝聞とgoogleによる調査をまとめただけにすぎない。

1995/不明
しゃあるによる、「段落アンカー」を用いたリンクコミュニティ形成を前提とする日記システムの発明。
  • 指定日の日記を表示するためのURLを固定にする
  • 「日」より細かい単位である「段落(テーマ)単位」にアンカーを設け、URLで特定位置へジャンプできるようにする
  • 段落(テーマ)単位に付いたアンカーそのものをリンク化し、特定の段落(テーマ)へのURLを右クリックでコピーできるようにする
  • httpdのログからリンクの発生を追跡して、段落(テーマ)に対する迅速確実な応答ができるようにする
この当時、ネットワークを用い、かつ後から不特定多数が参照可能な複数間のコミュニケーション手段は、NetNewsとBBSがメジャーな方法であった。これに対して、「相手のページの段落(テーマ)へのリンクとともに、自分の意見を自分のwebページに書く」という手法を生み出し、さらにこれを「日々の記録」という形で「日記」としてまとめたのが、「段落アンカーによる日記システム」である。
1995/秋
かうしゃあるによる、べんりくん誕生。最初の「自動更新時刻取得システム」(アンテナ)。
  • リンク先の更新時刻を自動取得、ソート、表示
  • URLに"?〜"を含めることによる、未読/既読でリンクの色を分ける技術
これにより、以下のような技術が付随して発生した。
  • 最新の日記を表示するためのURLを固定にし、アンテナから1クリックで日記が表示されるようにする
  • 最新の日記に、特定の段落(テーマ)へのURLを「過去日記へのURL」としてリンクを準備する
これにより生まれたコミュニティを、「はうン(hauN)」と呼び始めたらしい。発生経緯により、以下の特性があったことが推測される。
  • 「日記」は日々繰り返し読まれるコンテンツである。記述内容だけでなく、アクセス方法が簡単である必要があった。
  • 要求と所有していた技術から、これらのシステムが発明された。これらは日記の巡回にかかるコストを大きく減少させたため、このシステムに参加できる日記とそうでない日記は分けて読まれるようになった。
  • このシステムに参加するには、同等のものを自ら実装できる能力が必要だった。結果、参加者は「このしくみを理解し、実装できる者」という、大きく限定されるものとなった。
  • 同じ技術を持った技術者同士の交流速度は速い。これらはすみやかに打ち解け、話題はさらに専門化・高度化(内輪化ともいう)していき、コミュニティとしての結束を推し進めたと思われる。
1996/05
きわもぽによる、朝日奈アンテナ誕生。最初の「公式配布されたアンテナシステム」。
  • 個々の取得情報を共有し、動作負荷を低くする「リモートシステム」の実装
  • すでに構築されたコミュニティ内での使用による分散動作の実証と、それにより発生したさらなるコミュニティの拡大
パッケージングされたアンテナシステムは、これらのコミュニティを「別の視点から覗き見る」ことを容易にした。誰でも(とはいえ、やはりこれらの設置にはある程度の技術は必要ではあったが)容易にアンテナを構築できるようになったことにより、hauNコミュニティの外部にも存在していた「これらの技術を同様にもった個人またはコミュニティ」を「同じようなことをやっている連中」として結びつける現象が発生した。
  1. 新たなアンテナ設置者が、hauNコミュニティの内外にある日記をまとめて自らのアンテナに登録する
  2. hauNコミュニティ内部の日記著者が、アンテナを介して外の新たな日記著者を知り、日記やアンテナという形でコミュニティ内に紹介する
  3. これはすなわち、新しい日記著者がコミュニティに取り込まれたことを意味する
・・・わしはこうしてhauNに取り込まれた、といえる。

_ あちこちで何度も語られているが、現在までに発生した「hauNに関わりがあるもの」について。

  1. 「べんりくん」時代の日記コミュニティとしてのhauN。北大とその周辺。
  2. 「朝日奈アンテナ」によりある程度拡大したコミュニティとしてのhauN。
  3. 2.のうち、顔見知りにより構成されたhauN-MLと、hauN IRC。
  4. 3.から発生した、hauN.org。
  5. 4.から発生した、はうンしすてムズ
  6. 4.から発生した、もうひとつのhauN IRC。
  7. これらから発生した、NEWS
  8. 各相互作用により発生した、これらを全部含みかつその周辺まで含めた状態を外から眺めてひとくくりにしたときに名づけられる「hauN系」。

_ 7.はもはやhauNとは直接関係はないのだが、名札などにはhauNの面影を残してある。

_ 8.は、つまるところ現在「hauN」なるものが何なのかは結局わからんということでもある。名簿もなけりゃ親分もいない。ただ最初に「べんりくん」にかき集められた日記の集合体が変化融合を繰り返したなれの果てでしかない、ということでこれが先のc・d属なわけだ・・・。

_ 追記。かうがその昔にhauNの基礎知識を書いたのをすっかり忘れていた・・・^^;。


ぐるぐる

_ jagarlさんとこ経由でカップ・グラスをどっちの手で持つか。この手のって、ふと考え出すと持てなくなる罠・・・(苦笑)。わしのキーボードの横に置いてあるカップは左手だな・・・右側にスペースがなくて左側に置いているからだけど。しかし今使っているカップは右手持ち用にしか絵が入っていなくて、左に置くとつまらない罠。


2003/04/22 (火) 晴時々曇

あさ〜

_ 4:00AM充電開始、10:00AM再起動。


今日までのお買い物

  • 「ジャジャ(3)」(えのあきら)

    _ あと、先日の普及活動を見守るだけでなく参加してみ・・・いやまだ積んだだけか(汗)。


  • 2003/04/23 (水) 曇時々雨

    あさ〜

    _ 4:00AM充電開始、10:00AM再起動。


    よる〜

    _ かわーん迎撃@八重洲そじ坊。新幹線の終電まであまり時間がなかったが、それでもいい飯だったかな。「また来週」と見送り(笑)。


    続:web日記コミュニティhauNの考察

    _ というよりは、「hauNって何?」と訊かれたときにどう答えるべきかの整理か。

    _ 狭義にはhauN.orgを指すものでは・・・ない。hauN.orgは「3.(2.のうち、顔見知りにより構成されたhauN-MLと、hauN IRC)から発生したもの」と説明した通り、「『当時hauNだったもの』の一部+その外の人」でつくられていて、今はもうhauNとは何の関係もなくアカウントを持っている人が何人もいるし。実のところ、hauN.orgができた時点においては、hauNというコミュニティはすなわち「hauN-MLとhauN IRCのメンバー」であったといっていいだろう。

    _ 「じゃそれは誰よ」という質問には、残念ながら答えかねるということで。hauN-MLはクローズドだったし。また、実はこのころからこのコミュニティはだんだんと静かになっていってしまった。そして個々が広げた付き合いの輪をあちこちで共有するといったことが発生して、hauNだったものの境目が徐々に薄れていった。

    _ そんな状態で「hauNって何?」と訊かれたら・・・「当時hauNだったもの」だけじゃ足りないし、かといってわしが「hauN起源で集まった日記者の集団」をhauN呼ばわりするわけにもいかんし。まーひとつ言えることがあるとすれば、今度開かれる「『当時hauNだったもの』のメンバーの結婚を祝う会」に来る人は、全員hauNの内側じゃないかとは思う(笑)。

    _ でも、そんなこととは関係なく、「ある特定の集合」ではなくて「このへんの日記者の方面」とかいった感じの漠然とした集合を指したり、あるいは(NEWSでのわしの使い方のように)単にシンボルとして掲げたりという行為は、ずっと続くんじゃないかと思う。

    _ それはさておき、別方面。

    _ hauNが共有していたものは、特定のスクリプトやそれが集まったものとしてのシステムではなく、もっと基本的な「仕組み・仕様が集まったものとしてのシステム」ではないかと。そしてそれを理解し、実装し、それでコミュニケーションをはかろうとする者の集まり。それが最初期のweb日記コミュニティhauNだったのだろう。Windows95が出るか出ないかという頃、インターネットに繋がる環境はまだ家じゃなくて学校や会社がメインだった頃。始まったばかりのwwwを玩具にすることができた若き技術者たちの、遊びのひとつだったといってもいいと思う。


    2003/04/24 (木)

    あさ〜

    _ 4:00AM充電開始、10:00AM再起動。


    続:web日記コミュニティhauNの考察

    _ 「(自分の)日記で書くにはながいのでめーる」とかうやちから届いたので、コピペ。

    配色 かう やち

    _ > かう・しゃあるによる、べんりくん誕生。最初の「自動更新時刻取得システム」(アンテナ)。

    しゃあるさんは関係ないよ。
    うい、べんりくんは北大情報工学専攻知能工学講座の面子が、
    (かうを中心として)作ったものだったよな。
    メインコーディング:かう、技術支援:ばた、たか<三名とも知能院生
    みたいな感じで。
    最初はほんとにただのブックマークページだったね。
    大野はいなかったよ
    津幡がHEADで更新時間とれるというのをどっかのぱげで発見して
    そのぱげとPerlのsocketの使い方を教えてくれて
    それをわしが日記に適用しただけ

    _ > リンク先の更新時刻を自動取得、ソート、表示

    ソート機能はありません。今も昔も2段組。そんなに数がなかったので
    上から順によむよりも、自分が読みたい日記の場所を覚えておいて
    そこの色が変わったらクリックするってので十分だったから。
    ソート機能が付いたのはいつごろからだろう?
    小西さん(という方から電話)の「そおとデぽぽぽ」が、覚えている
    最古のものかな。
    #ぽぽぽって何の略だっけ?>かう
    ぽくだいポリマーぽなくなりだっけ?
    うん。
    ぽぽぽが最初だとおもう。
    でもめたばぶとぽぽぽってどっちが先だっけ?

    _ > URLに"?〜"を含めることによる、未読/既読でリンクの色を分ける技術

    1995/11/4らしい
    http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/kau/200103c.html#20010329-6

    _ > これにより、以下のような技術が付随して発生した。
    > 最新の日記を表示するためのURLを固定にし、アンテナから1クリックで日記が表示されるようにする

    最初はそうでもなかった。
    そもそもべんりくんができた頃は
    日記の日付が新しい方が上っていう書き方はほとんどなかったので
    クリックしてからスペース連打とか2クリックでやっと日記が読めたりとか。
    もとは津田リンクスの、日記更新自己申告ボタンからはじまってるから
    リンク先は日記のタイトルページだったひともいっぱい。
    週一回とか月一回ターゲットとリンク先を手動で修正してました(笑)

    1クリック、べんり始動して半年経ってもそうじゃない人が複数いた模様(笑)
    http://x.haun.org/diary/960506_960512.html の5/6と5/7
    そう、昔は単純に新規の内容を下にくっつけていってたので、
    その日記サイトに行ったらいちばん下までスクロールさせなければ
    いけなかったんですね。
    わし注: 技術が発生しても使わない人もいるので。後も同様。

    _ > 最新の日記に、特定の段落(テーマ)へのURLを「過去日記へのURL」としてリンクを準備する

    これも最初はぜんぜんなかったよ。
    せいぜい日付に>A name>だった。
    段落タグなんかができたのはもっとずっとあとだったような。
    ぐささんは97年の8月末からだって。
    http://x.haun.org/diary/199709_1.html#19970901_07

    _ > これにより生まれたコミュニティを、「はうン(hauN)」と呼び始めたらしい。発生経緯により、以下の特性があったことが推測される。

    hauNて何?ってきかれたら。「起源(というのも変だけど)は、ろむ蔵がWeb上の日記で使用していた感嘆詞(独立語?)。意味はだいたいガビーンとかと同じ」でいいんじゃないかと。だめかなあ。

    でhauNを気に入った人の主な症状:
    ・日記でhauNを使用するようになる。
    ・$a,$b 等を重要な変数の名前にするダメなエセプログラマが $hau1,$hau2 を使うようになる
    ・日常会話でもhauNをつかうようになる。
    ・「はう?」と聞き返したり「はうんてき」「なまらはうん」等という活用をしだす。
    ・雑誌や書籍などでhauNを布教したくなる(ぉ

    これら「hauNを常用する人」のことを総称してhauN者て呼ぶのがいいようなきもする。
    だからhauN系は?といえばhauNという単語が気に入っている人達のことだね。これもだめか?
    ろむ蔵がIRCでよく「はうン」とか「ぽめれちょう」とか使ってて、
    それが起源ですな。えヴぁんのtest-MLを本格稼動へ移行するときに
    「どんなML名にしよう」ってなときにhauN-MLになって、それから
    広まったんだっけか。
    うん http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/kau/199902a.html#19990206-13
    あ、あと hauN の別の意味として
    html authoring utility Named hauN
    があるというのは、一部ではあまりにも有名(わら)
    ガビーン http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/kau/199902a.html#19990208-3
    ろむぞうはあんまりIRCしてないよ。
    なんか入りたくても入れなくてすごいはまってた記憶ある。
    当時はwindows(DOS?)用のIRCクライアントがほとんどなかったんじゃないかなあ。
    なにゅー、ということは、あれらのやりとりはすべて
    メールチャットだったのカー。
    あまりにもやりとりの頻度が高くて、てっきりIRCだと
    思ってた。

    _ > 「日記」は日々繰り返し読まれるコンテンツである。記述内容だけでなく、アクセス方法が簡単である必要があった。
    > 要求と所有していた技術から、これらのシステムが発明された。これらは日記の巡回にかかるコストを大きく減少させたため、このシステムに参加できる日記とそうでない日記は分けて読まれるようになった。

    当時は津田リンクスが絶大唯一のもので
    日記書いた人はここに申請すればよかったよ。
    だから当時は自分が読んでいる日記の一覧を作成して
    自分用のブックマークとして利用しつつ、
    新しい日記の開拓には津田リンクスか他人の日記のブックマークを使っていた。
    というより日記本文で「おもしろい日記発見した!ヨメ!」とか報告されてた気がする。
    わし注: 津田リンクスのフェードアウト(というか、頼らない人の増加による相対的な依存率の減少)と、これらのアンテナ技術のフェードインがほぼ一致したと認識している。きわもぽ的アンテナ話がちょうど見つかったのでリンク。

    _ > このシステムに参加するには、同等のものを自ら実装できる能力が必要だった。結果、参加者は「このしくみを理解し、実装できる者」という、大きく限定されるものとなった。

    単に僕が読みたい人と仲間に入れてーとかこの人のも入れてーと
    僕にアクションしてきた人だけが参加できるシステム(?)でした(笑)
    能力とかいらなかったよ。

    僕が読みたい人には
    <!--#timefmt .... --->
    ほげくん <!--#flastmod virtual="/~hoge/Diary/index.html" -->
    はうさん <!--#flastmod virtual="/~hau/nikki/nikki.html" -->

    というファイルをbenri.shtmlという名前で作成してほしいのですが
    なんてメールを送ったこともありました。
    それ以前に、当時ネットやって自ら日記書くような人といえば
    それなりのスキルを持った人たちばかりでしたし。
    せんせーい。
    くちょもいましたーw

    _ > 同じ技術を持った技術者同士の交流速度は速い。これらはすみやかに打ち解け、話題はさらに専門化・高度化(内輪化ともいう)していき、コミュニティとしての結束を推し進めたと思われる。

    hauN者(hauNを{使用|愛}する人たち)とべんりくんにリンクされた者とは違うつもりだし
    hauN者とHNM(及び初代hauN-ML)も別だと思っているんだけどダメデスか
    でもhauN北海道とか呼ばれてたようなきもするしなー(汗;)
    ぽっかいどうのメンバー(およびぽっかいどうに深く関係のある
    メンバー)は、今でもただのhauNとhauN道(はうんどう)を
    区別してます。

    _

    関係ないけど北海道と東京の接点としては
    キノトロープ
    IRCの#にっき
    SCoT
    なども重要らしい。
    そもそも、東京と北海道の最初のころのつながりといえば、
    しゃあるさんと田辺さんがSCoTでつながっていて、それで
    田辺さんがSCoTの集会(というのはタテマエで、のんずクラブの
    のん会長に会いに来たというのが通説)のために北海道に
    遊びに来たというのがオイラの認識なのですが。
    SCoTのメンバー(しゃあるさんとか田辺さんとか趣味人さん
    とか)にたずねれば、そこらへんわかるのかも。
    あ、SCoTって何の略だったかなあ、わかんない。
    #にっき か何かでぐささん(当時は田辺さんか)に来るしか!攻撃を
    毎日のようにしていたらちょうどSCoTの集会とのんず(HNM?)の日程が
    連続したかなにかで、それを口実にして北海道にきたんじゃないかな。
    それ以前からぐささんとは東京で会ってたと思う。

    そういえば95年の夏休みに帰省した時に
    キノトロープに遊びに行ったのが日記書き始めたきっかけ。
    日記リンクスはしゃあるさんが88番で僕が89番(たしか)。
    あ。今思い出したけどなんで日記かくまえからあみさんとか知ってたのかは
    春につくった姓名判断があったからだ。それで知り合いになって
    日記かいてもいないのに #にっき に常駐してたんかなー俺(汗;)
    ちがった!
    ぐささん最初はHNMだけのためにきている!(笑)
    http://x.haun.org/diary/961028_961103.html
    11/2 - 11/4

    そういえば卒業したらみんなばらばらになるかもしれないからとかいって
    北海道に来る最初で最後のチャンスとかいいながら来たんだった。

    _ ・・・あかん、注釈ないと絶対わからんよ、この文章・・・(苦笑)。注釈とか「割り込み俺にも喋らせろ」的なことについては、当方までメールにて。


    2003/04/25 (金)

    あさ〜

    _ 4:00AM充電開始、10:00AM再起動。


    続:web日記コミュニティhauNの考察

    _ すらにぃからもメールが来たので、掲載。

    hauNとは、『何らかの2hopな関係が相互作用して拡大した「関係の関係」』、と言うことではないかと。

    当時、まだ津田リンクスしか無い時代、日記のLinkリストは各日記者(にっきもの)が
    自身のサイトに「公開ブックマーク的」に「読んでますリスト」を掲載していて、
    それを介して、各自の購読(と言うか何と言うか)範囲が広がっていたような気がします。

    私の場合、既に友人であったしゃある兄ぃが日記を公開していたので、
    面白そうに思い、それを真似っこして始めたのが切掛ですね。

    で、私は完全に文系の人間ですし、北大卒でも室工大卒でもありません。
    技術的な面ではからっきし、ですが、なぜかhauN.orgですし(私がhauNでは異端なんだけど)。

    #まぁ、学生でもないのに室工大に潜り込んでいた、と言う経緯は有りましたが(謎汗苦笑。

    そう言う意味では、ComputerとNetworkと日記、程度の共通点ぐらいしか無く、
    それぞれが、似たような属性と言うか臭いと言うか趣味趣向と言うか、
    そんな「関係の関係」、と言う気がしています。

    _ ときんの記述、まるまるコピペさせていただきます。

    [#1]その前に私とやっち。
    私とやっちとはネットで知り合う前からの友人\です。それと私は北海道出身です。
    [#2]やっちとかうさん
    北大の知能にかうさんが言語にやっちが在籍していて、やっちが知能によく遊びに行っていたらしい。これを踏まえた上でメールの会話をほぼ理解。「ぽぽぽ」は「ぽにし、ぽくだい、ぽりまー」の略であってるはず。ソート機能は「ソートでぽぽぽ」からだと思う。
    [#3]ホームページを作ったきっかけ、日記を書き始めたきっかけ
    いずれもやっちの影響。ホームページを作ったきっかけが書いてあるが、これは日記ではなく更新履歴を日記に移行したもの。毎日のように書くきっかけもやはりやっちの影響。このころの日記タイトルは「はっきりいってひとりごと」だった。
    [#4]べんりくん→日記リンクス
    自分の日記は「べんりくん」登録が先です。
    [#5]hauNコミュニティー(本題)
    私もかうさんややっちと同じくこの番号で行くと1からかかわっていることになります。3にあるhauN-MLは1からの派生に近いのですが、最初のメンバーは「べんりくん」「日記リンクス」にかかわっているメンバーが入っていたように思えます。
    [#6]
    1のメンバーという意味で言うとかう・やちを中心とするぽくだい知能・言語方面とふるふる(ぽりまー)、なる・nbkzさんを中心とする室蘭方面、ぱやーん、さいぽーを中心とする仙台方面、しゃあるさん、Xさん、私は確実にhauNのコアメンバー(実際はまだいますが・・・)でコアメンバーの誰かと何らかのつながり(日記・日記以外)を持ってさらに大きくなったのが現在のhauNのような。@はうンこの箇所に該当する面々がコアメンバーと考えます。(私が確実に入っているとは考えにくいので確実にを訂正しました)

    _ さらに、主将(きわもぽ)の記述もコピペ。

    • 考えてみりゃしゃありゅんは後になって「わっちりんくす」 自作してるから、 「べんりくん」にはタッチしてなさそうだよなぁ。
    • 「ぽぽぽ」は「ぽにし・ぽくだい・ぽりまー」だった気ががが。 ソート機能は後から追加してたような気はする。
    • そーいや所謂「日記作成支援ツール」の類って、手作業だと
      • 本文をHTMLで書くのがかったるいちうよりは、 段落アンカー作るのがかったるくて困る。不正確にもなりがち。
      • 最新記事ページと過去記事蓄積ページを 両方わざわざ弄るのがかったるい。
      てなあたりから生まれ発展していったような気はするよな。
    • 日本のblog/Web日記史みたいな話となると、 やぱし津田リンとか猿人とかって避けて通れない気もするよなぁ。 最近の大概のメディアは気づいてないか無視してるかみたいだけど。 以前からこのへん「きちんと」整理されないもんかとか 時々思ったりするんだけど、 鮒寿司学会はやぱしアテにならんかのう。
    • そーいや、とある書籍では津田リン衰退関連が 「彼」の「武勇伝」として語られてしまっていたり (しかも今のところ、あれって「書籍」としては、 あのへんについて言及している唯一の存在のような気もする)、 やぱし勝てば官軍ちうか、いや 「さいごまで たっていたものの かちだ」 てなもんなんかのう。

    2003/04/26 (土) 曇時々晴

    あさ〜

    _ 4:00AM充電開始、10:00AM再起動。暑い・・・。


    ひる〜

    _ 旅行準備でいろいろ買出し。暑い・・・が、夜になって涼しげな風に。


    ユーシィ耐久鑑賞会

    _ 1900ごうちゃ宅到着、ごうちゃ・ひらしょー・えす・本吉氏・わしでスタート。まずステルヴィア観ながらカレー。

    _ ありりんが来ないままスタート。今日はえすさん禁酒日なのでわしも呑まずに。

    _ DVDが出ている4巻まではPS2で、5時間弱。途中でありりん合流。うう、前半わりと忘れてた・・・。

    _ おかし補給後、PCをTVに繋いで続いで6時間。雑談したりツッコミ入れながらだったりが、最後4話はほぼ無言。もちろん寝てたわけじゃなく(笑)。やはりかっちょええのです。


    2003/04/27 (日) 晴時々曇

    アフター鑑賞会

    _ 0700前。グターリ沈没かというとそんな感じでもなく、今期のアニメをフラッシュで流したり、ゲームのつまみ食いとか。ゆめりあの徹底した「立ち絵モーション豪華一点主義」ぶりはすごいな・・・(笑)。

    _ 誰かが何かしつつ誰かが急速充電とかいった感じで、一晩おいたカレーとユーシィのドラマCDでフィニッシュして、1500解散。


    今日までのお買い物

  • 「AMAKUSA1637(5)」(赤石路代)
  • 「ぴたテン(7)」(コゲどんぼ)
  • 「ちまちまぱぺっと」(ひな。)
  • AH-N401C(Air-H"通信カード)

    _ ごうちゃ宅で、えすさんとまったく同じCFE-02を使っているのにわしのだけ通信状態が非常によろしくないことに気付いて、試しにカードを交換してもらったらバリバリ・・・ということで機種変更。いままで自宅での受信状態もよろしくなかったのだが、大幅改善。


  • 2003/04/28 (月) 晴時々曇

    あさ〜

    _ 9:00PM充電開始、4:00AM再起動。うわーすごい時間(笑)。


    GW関西遠征2003 0日目:よる〜

    _ 2000帰宅。程なくかいン到着して、飯。Aセット+とんとろセットハメ(笑)。

    _ 風呂行って帰ってきたころにはー到着。とりあえずビヤー。

    _ 最後にあかりん到着。あとは寝て起きるだけ。


    2003/04/29 (火) 晴時々曇

    GW関西遠征2003 1日目:あさ〜

    _ 0:30AM充電開始、5:30AM再起動。

    _ とりあえず車を持ってきてFIVAを設置・・・しようとしたらまた死んでいた。・・・なんつータイミングだ・・・(汗)。急遽VersaProを車内設置。

    _ かけん到着を待って、0610出発。


    GW関西遠征2003 1日目:to松阪


    海老名SA

    昼肉の前に朝肉

    肉を焼こう

    塩ダレで頂こう

    もう一度焼いて

    もう一度食う

    ご飯をもらって

    乗せて食う
    _ 0700、海老名SA着。とりあえず朝飯・・・しかし適当なものがなくて吉野屋を選んでしまう罠。昼は松阪牛を食うというのに・・・^^;。

    _ 0730出発。GWとは思えないほど流れまくりの東名を下って、0930浜名湖SA着。みかんキティを某方面お土産にげっと。

    _ 1000出発。走り出してすぐ、2台前の車がいきなり走行中タイヤバースト。タイヤの破片と車をきれいに避けて事なきを得たが、素晴らしいのはあの状態で見事に減速して追い越し車線から路肩への対比に成功した、バースト車のドライバーかと・・・(苦笑)。

    _ 松阪付近。後ろからパッシングされまくった車が退避のためにかけんに幅寄せする危機到来。無事避けたようだが。しかし今日はせっぱつまったかのように走る車が多いな・・・。

    _ 1230、松阪の牛銀に到着。皆で牛網焼き10000縁コースにダイブ。

    _ ・・・さすがに旨い。部位の異なるヒレ3種と野菜の網焼き。同じヒレでもここまで舌触りも脂の乗りも違うのかと感嘆。でも最初のは「わかき」の1/2ポンドステーキの肉に風味が似てたな・・・。


    GW関西遠征2003 1日目:to伊勢神宮


    おかげ横丁

    豆腐ソフト

    正宮への石段

    荒祭宮

    ねこー
     
    _ 1330出発。下道を通って、1430伊勢神宮内宮へ。どこの有料駐車場にするかと迷っていたら、誘導が。行ってみたらおかげ横丁の駐車場で無料。らっき〜。

    _ 横丁でおやつ。豆腐ソフトクリームが激ウマシ。

    _ お参り。さっくりと。混んでるでなく空いてるでなく、いい具合に行楽地だな〜という感じ。

    _ お守りとか真珠キティとかアオサとかお土産を買って、終了。外宮は微妙に時間が足りないので、今日はキャンセル。


    GW関西遠征2003 1日目:鳥羽グランドホテル


    鳥羽港を進む船

    伊勢エビ・・・

    鳥夕飯(の一部)
     
    _ 1615出発。近鉄鳥羽線とおっかけっこしながら下道を通って、1645ホテル着。5Fか・・・えらい眺めのいいフロントやな。

    _ ・・・部屋は2F。5Fに比べると眺めはイマイチだがまあ問題なし。鳥羽港は見えるし。

    _ 風呂。地下1500mから汲み出した割には塩素くさいな・・・循環してるんかな。

    _ 1900から夕飯。んー・・・旨くないわけじゃないんだが、やたら品数つーか皿の数が多くて食うのが面倒。固形燃料に着火する料理が3つもあるし、そのうち1つは全員が吹き零れるし、それが浴衣にまでたれるし・・・(汗)。正直「味わう」というよりは「やっつける」という感じだった・・・。


    2003/04/30 (水) 雨後曇

    GW関西遠征2003 2日目:あさ〜


    APRS-11大活躍
    _ 10:00PM充電開始、5:00AM再起動。嵐の中でも朝風呂〜^^;。

    _ 朝飯はホテルのバイキング。普通。

    _ ひと晩インフラとして活躍したAPRS-11を撤去して、0830チェックアウト。


    GW関西遠征2003 2日目:鳥羽水族館


    鳥羽水族館

    シルエット

    何タナゴだったっけ?

    カエル1

    雨の真珠島

    カエル2

    ピラニア

    うーぱーるーぱー

    うじゃうじゃ1

    うじゃうじゃ2

    熱帯系

    普通のザリガニ

    青ザリガニ

    真っ青ザリガニ

    キモイヨー

    アザラシ

    アザラシと骨格比較

    アシカショー
       
    _ 最初の予定では伊賀上野で見物でもしようという話だったのだが、荒天につき予定変更。午後には回復するということなので、近場で回復を待とうということで。「太陽系最大級」という触れ込みも気になったし・・・(笑)。

    _ ホテルから10分足らず。開館時刻すぐなので空いてる空いてる。

    _ 入ったすぐのところの淡水魚系から見る。この手の水族館で淡水魚はあまりお目にかかれないので、珍しいといえば珍しい。しばし見入る。

    _ いろいろ見ているうちに、アシカショーの時間に。ど真ん中あたりに運良く陣取れたが、少ないかと思ったらこんなに人が入っていたのね・・・。ショーは無難といったところ。

    _ なんか人が集まっちゃったので混み混み。ぶらぶらしたりお茶したりして、1200撤収。


    GW関西遠征2003 2日目:夫婦岩


    近鉄鳥羽線

    夫婦岩

    なぎさや

    刺身定食
    _ 15分くらい走って、夫婦岩へ。ぶらぶら。名所ですから。

    _ センターの向かいの食堂なぎさやで昼飯。刺身定食、おいしゅうございました。。


    GW関西遠征2003 2日目:かけん実家


    高峰レストラン

    かけん家のいぬーん
    _ 1330出発。伊勢道から名阪国道で奈良へ。途中雨が降ったり気温が下がったりして、バイクで来ているかけんが少々心配になりつつも、「必要があったら前に出て知らせる」というかけんの言葉を信じて爆走。

    _ 高峰山の峠のパーキングでトイレ休憩。やはりかけんは寒かったらしい・・・(苦笑)。名物らしいコロッケなどつまみつつ、だーっと下りて西名阪。しばし走って、かけん実家到着1600。

    _ 次の予定までちと時間があるので、お邪魔させていただいて一休み。犬とたわむれてみる。

    _ ETVを観ながらお茶など頂きつつ1800までのんびりして、出発。ごちそうさまでした。


    GW関西遠征2003 2日目:花心


    梅田ヨド

    肉投入前
    _ 1845、梅田入り。ヨドをぶらついているうちに、合流予定だったかわーん他と合流。やはりここで会うか・・・(笑)。

    _ しばしエクセルシオール前で時間つぶし。謎のデジカメ談義をshootしてみたりとか(笑)。

    _ 2000過ぎ、花心入り。いつも奥に入ってしまうので、今回は調整して手前に座ってみる。 なーんか最初っから最後までスカラー某が絡んだ話に・・・(苦笑)。あとは「そ」の1とか、リアルタイム御用話とか、いろいろ。なんか前回から1年も経った気がしないほど楽しいひとときを・・・いやまぁかわーんとは1週間ぶりだけど(苦笑)。


    GW関西遠征2003 2日目:もも兄宅

    _ 2230撤収。しばし走って、もも兄宅着。今回もお世話になります。これはつまらんものですが崎陽軒の真空パックシウマイです、とか(笑)。

    _ いつもの銭湯に行って、日記の下書きをして、今日はおしまい。

    _ あ、ついにトイレのドアのきしみ音が解消されている・・・(笑)。




    hauN Last update: Saturday, 04-Jun-2011 17:29:37 JST
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